追悼★愛しきパンク天使:アリ・アップ(ALI UP)よ永遠に!ザ・スリッツTHE SLITS 『TYPICAL GIRLS』(1979年)♪

newwave-subculmoon2010-12-20


★愛しきパンク天使!アリ・アップ(ALI UP)の死は今もまだ信じられない...シャルロット・ゲンズブールCHARLOTTE GAINSBOURG)の初来日公演で舞い上がっていた、そんな日の少し前のこと。古くからの友人がシャルロットの公演後、暫くして教えてくださった(優しいお気遣いに感謝!)。

ザ・スリッツのフロントマン、アリ・アップが病死
【エンタメニュース】 2010/10/22(金) 17:01 より引用
70年代後半から80年代のイギリス、ポスト・パンク期を代表する、グループ、The Slits(ザ・スリッツ)のフロントマン、Ali Up(アリ・アップ)が10月20日に死亡したことを、義理の父であるジョン・ライドンセックス・ピストルズ)がオフィシャルサイトで発表した。享年48歳。死因は重病を患った後の病死(ライドン談)ということ以外は公表されていない。

アリアンナ・ダニエル・フォスター(Ariane Daniele Forster:1962年1月17日〜2010年10月20日)ことアリ・アップ(Ali Up)は10代の私のアイドルのお一人だった。48歳での死はやはり早過ぎる...実感が伴わず時間が経過。アリ・アップの歌声やあのキュートな動きはもう新たに出会うことができないのだ。悲しいけれど事実...追悼の気持ちが追いつかずにしんみりとする。けれど、アリ・アップは永遠なのだ!これからも、私は友人たちとのニュー・ウェイヴ・イベントでは変わらずターン・テーブルに乗せるだろう。アリ・アップよ、永久に☆ご冥福をお祈りしています。

以下は嘗て書いた記事です。
★どうしても10代の多感な時期に出会えた衝撃は消え失せることなどないようだ。そんなお一人にザ・スリッツ(THE SLITS)のたまらなくキュートなヴォーカリストであるアリ・アップ(ALI UP)がいる。初めてこのバンドの存在を知ったのは『ミュージック・ライフ』だった。全身泥んこまみれの女の子たちのお写真。どんなサウンドでどんなお声なのだろう...と興味津々状態で、日本盤で1stアルバム『CUT カット』を購入した。私の乏しい想像力など軽く超えてしまう世界だった。そして、アリ・アップの少し掠れた甘いヴォーカルと迸りは私の心を鷲摑みにしたと云っていい程の衝撃だった。パンク~ニュー・ウェイブというシーンの中で最初のガールズ・バンドだと想う。それもメンバーみんな演奏したこともなく、歌ったこともないアリ・アップだったのだ。

パティ・スミスとはロンドンで意気投合したそうだし、ドラムのパルモリヴ(パームオリーヴ)は後にザ・クラッシュを結成するジョー・ストラマーのガールフレンドだった。パルモリヴはフラワーズ・オブ・ロマンスのメンバーでもあったので、後のジョン・ライドンのパブリック・イメージ・リミテッド(PIL)とも繋がる。1978年にはパルモリヴはザ・レインコーツに加入しているので、スリッツが1979年に1stアルバム『カット』(プロデュースはデニス・ボーヴェル)をリリースした折のメンバーは、ヴォーカルがアリ・アップ、ギターがヴィヴ・アルバータイン、ベースがテッサ・ポリット、ドラムはバッジーであった(後にスージー&ザ・バンシーズへ)。そして、驚異の恐るべき子供たち”ザ・ポップ・グループ”のブルース・スミスとマーク・スチュワート、さらに"Y"や"ON-U"との交流へとも繋がる。スティーヴ・ベレスフォード(フライング・リザーズ)やネナ・チェリーもいた!ザ・スリッツが結成されたのは1976年なので、アリ・アップは14歳!アルバムデビュー時は17歳!マーク・スチュワートブリストルサウンド(ポーティスヘッド、マッシヴ・アタック、トリッキー等)の先駆者としてカリスマ的存在でもある。アリ・アップは「私達は20年早かったのよ。」と語ってもいた。ダブやレゲエという音楽など知りもしなかった私はすべてが新鮮で刺激的で”ニュー・ウェーブって素晴らしい!”と歓喜していた。『カット』はリアルタイムではないけれど、私にとって最初のパンクだったのかもしれない。サウンドと、この『ザ・スリッツ(THE SLITS)』という女の子たちのバンド、中でもアリ・アップは今でも心トキメク愛しきパンク天使!良き友人たちと『sub-culture』というイベントを開催(突発的に)して愉しんでいるのだけれど、大抵私の鞄にはこの『CUT』のレコードが入っている♪

The Slits / Typical Girl


可愛すぎるアリ・アップ!美しい長閑な英国の緑の景色の中で妙なミスマッチ感が愉しい

chouchouでした。